人は、なぜ他人と比べてしまうのだろう。

「あの人は、自分より評価されている」

「同年代なのに、自分より年収が高い」

「同期が先に昇進した」

気づけば私たちは、誰かと自分を比べています。

「他人と比べても意味がない」
「比べるなら、過去の自分と比べよう」

そんな言葉を耳にすることもあります。

確かに、他人との比較によって苦しくなることはある。

でも、私はふと思います。

そもそも、他人がいる世界で、誰とも比べずに生きることはできるのでしょうか。

そして、比較することは、本当に悪いことなのでしょうか。

目次

なぜ、私たちは「近い人」と比べるのだろう

不思議なことがあります。

世界には、自分より大きな成功を収めている人がたくさんいます。

例えば、イーロン・マスクと自分を比べて、

「自分はなんてダメなんだ」

と毎日落ち込む人は、それほど多くないでしょう。

ところが、

同じ会社の同期。
同年代の友人。
同じ仕事をしている人。

そんな自分と近い人が昇進したり、評価されたりすると、途端に心が揺れることがあります。

なぜなのでしょう。

もしかすると、自分と近い人ほど、

「自分もそうなれたかもしれない」

と感じやすいからなのかもしれません。

遠く離れた誰かではなく、自分と似た場所から歩き始めた人だからこそ、その差が気になる。

比較する相手には、自分自身の願いや価値観が映っているのかもしれません。

比較すること自体が、悪いのだろうか

私は、比較そのものが悪いとは思いません。

他人を見ることで、自分の現在地に気づくことがあります。

「あの人の話の聞き方、いいな」

「自分にはない考え方だな」

「こういう接し方は、自分も取り入れてみたい」

他人との違いがあるからこそ、学べることもあります。

問題になるのは、比較したことそのものではなく、

比較によって、自分や相手の価値に順位をつけ始めたとき

なのではないでしょうか。

「あの人より上」「あの人より下」

会社であれば、役職や給与、評価、売上。

社会に出れば、年収、学歴、家、フォロワー数。

数字や肩書きは分かりやすい。

だからこそ、比較もしやすい。

でも、

「あの人より年収が高い」

という事実と、

「自分のほうが人として優れている」

ということは、本来まったく別の話です。

反対も同じです。

同期が先に昇進したからといって、自分の価値が下がったわけではありません。

それでも私たちは時に、

一つの物差しで生まれた差を、自分自身の価値にまで広げてしまう。

そこから優越感や劣等感が生まれ、自分を必要以上に大きく見たり、反対に小さく見たりしてしまうことがあります。

比較の裏側にある「欲」

では、同じ比較でも、苦しくなるときと、学びになるときの違いは何なのでしょう。

私は、その一つに**「欲」**があるように思います。

昇進したい。
もっと収入を増やしたい。
認められたい。
負けたくない。
自分のほうが上だと思いたい。

こうした欲そのものが、悪いわけではありません。

「もっと成長したい」という気持ちが、自分を前へ進ませることもあるでしょう。

ただ、その欲が強くなることで、

比較の目的が「学ぶこと」から「自分の価値を証明すること」へ変わってしまう。

そんな瞬間があるのではないでしょうか。

同じ「同期が昇進した」という出来事でも、

「あの人から学べることは何だろう」

と思うこともできる。

一方で、

「なぜ自分ではなく、あの人なのか」

と思うこともできる。

比較する相手も、起きた出来事も同じです。

違うのは、そのときの自分が何を求め、比較にどんな意味を与えているかなのかもしれません。

過去の自分と比べればいい?

「他人ではなく、過去の自分と比べよう」

よく聞く言葉です。

私も、その考え方には救われる部分があると思います。

でも、それだけが答えなのでしょうか。

過去の自分と比べても、

「あの頃はできていたのに」

「昔の自分のほうが輝いていた」

と苦しくなることがあります。

反対に、他人と比べても、

「あの人のここを自分も取り入れてみよう」

と前向きになれることもある。

だとすれば、大切なのは、

「誰と比べるか」だけではなく、「その比較にどんな意味を与えるか」

なのかもしれません。

「順位をつける比較」から「学ぶための比較」へ

他人と比べない。

言葉にするのは簡単です。

でも、誰かと関わりながら生きている以上、比較することを完全になくすのは難しいのではないでしょうか。

それなら、比較をなくそうとするのではなく、比較との付き合い方を変えることはできないでしょうか。

「あの人より上か、下か」ではなく、

「あの人から何を学べるだろう」

「なぜ私は、この人がこんなに気になるのだろう」

「この感情は、自分が本当は何を求めていることを教えているのだろう」

そう考えてみる。

健全な比較とは、順位をつけるためではなく、自分を知り、学ぶために比較することなのかもしれません。

比較する自分を否定するのではなく、その比較から、自分自身を少し知ってみる。

他人を見ることが、最後には自分を見ることにつながっていく。

そんな比較の仕方も、あっていいのではないでしょうか。

あなたが最近、比べてしまった人は誰ですか。

そして、

なぜ、その人だったのでしょうか。

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