竹のようなプライドでありたい

「プライドが高い」

この言葉を聞くと、あまり良い印象を持たない人も多いかもしれません。

自分の間違いを認めない。
人の意見を受け入れない。
負けることを嫌う。
自分の正しさにこだわる。

そんな、どこか硬くて扱いづらいものを想像します。

私自身、プライドという言葉には、長い間「鉄」のようなイメージがありました。

強くて、硬くて、簡単には曲がらない。

でも、本当に強いプライドとは、そういうものなのでしょうか。

最近は、少し違う形のプライドがあってもいいのではないかと思っています。

竹のようなプライド。

しっかりと根を張りながら、風が吹けばしなる。
そして、風が過ぎればまた戻ってくる。

そんなプライドでありたいと思うのです。

目次

間違える自分も、自分の一部

人から何かを指摘されたとき、素直に受け入れることが難しい瞬間があります。

「でも、自分はこう思っている」

「今までこのやり方でやってきた」

「自分の方が経験している」

そんな言葉が、反射的に頭に浮かぶことがあります。

もしかすると、その奥には、

「間違っていたと認めたら、自分の価値まで下がってしまう」

という気持ちがあるのかもしれません。

でも、自分の意見が間違っていることと、自分自身の価値は別のものです。

知らないことがある。
失敗することがある。
判断を誤ることもある。
誰かの考えの方が良かったと気づくこともある。

それでも、自分という人間の価値まで失われるわけではありません。

「知らなかった」

「それは自分が間違っていた」

「その考え方の方がいいね」

そう言えることは、プライドがないからではなく、

間違える自分も、知らない自分も含めて、等身大の自分にOKを出せているからこそできることなのかもしれません。

「こうあるべき」に、人を当てはめていた

私自身、仕事で人を育てる立場になった頃は、

「こうあるべき」

という考えを、今より強く持っていました。

自分が経験してきたこと。
成功した方法。
仕事で大切だと思っていた姿勢。

それらを基準にして、

「こうした方がいい」

「こうならなければいけない」

と、自分の考える型に相手を当てはめるような育て方をしていた時期もありました。

もちろん、そのときの自分なりに相手の成長を願っていたのだと思います。

でも、経験を重ねる中で少しずつ考えが変わりました。

人にはそれぞれの考えがある。
得意なことも違えば、目指したい場所も違う。

こちらが答えを決めるのではなく、まずその人自身の意見を聞く。

そして、その人なりの答えを尊重しながら、一緒に考える。

今は、そんな関わり方を大切にしています。

以前の自分をすべて否定したいわけではありません。

あの頃は、あの頃なりに真剣だった。

ただ、経験する中で、

今まで大切にしていた考え方を変えた方が、もっと大切にしたかったものに近づける

と気づいたのです。

考えを変えることは、過去の自分を否定することではありません。

むしろ、過去の経験を持ったまま、自分を更新することなのだと思います。

それは「美学」なのか、それとも「意地」なのか

一方で、何でも柔軟に変えればいいとも思いません。

自分なりに大切にしたいことは、あっていい。

むしろ、それがあるからこそ、自分らしく生きられることもあります。

では、「譲れない軸」と「ただの頑固さ」は、どう違うのでしょうか。

私は、

それは本当に自分が大切にしている価値観なのか。
それとも、その場で言われたことに対する抵抗なのか。

と考えてみることがあります。

誰かに否定された瞬間、

「いや、違う」

と言いたくなる。

でも、少し時間を置いて考えてみたとき、

「確かに相手の言うことにも一理あるな」

と思えることがあります。

そのとき守ろうとしていたものは、信念ではなく、

「間違っていると思われたくない」

「負けたくない」

という、その場限りの意地だったのかもしれません。

美学は持つ。
でも、意地にはしない。

この違いは、忘れたくないと思っています。

譲れないものは、多すぎなくていい

「これは自分の軸だから」

そう言えるものがあることは、とても大切だと思います。

でも、その「譲れないもの」が増えすぎると、どうなるでしょう。

これも変えない。
あれも譲れない。
この考えも自分らしさ。
このやり方も守りたい。

そうやって何もかもを自分のプライドにしてしまったら、少しずつ身動きが取れなくなってしまいます。

強くなっているようで、実は硬くなっている。

竹のようなしなやかさから、少しずつ鉄に近づいてしまうのかもしれません。

だから私は、

本当に譲れないものは、そんなに多くなくていい

と思っています。

仕事であれば、私はお客様への礼儀を大切にしたい。

同時に、必要以上に萎縮するのではなく、堂々と対応することも大切にしたい。

プライベートでは、子どもたちが「これをやってみたい」と思ったとき、その気持ちをできる限り応援したい。

そして仕事でも私生活でも、人の悪口を陰で言わない。言いたいことがあるなら、できる限り本人に伝える。必要以上に人に媚びない。

今の私は、そんなことを大切にしています。

でも、それ以外の多くのことは、変わってもいい。

方法は変えていい。
考え方も変わっていい。
今までのやり方を手放してもいい。

根っこまで、すべてを固定する必要はないのだと思います。

積み重ねるだけではなく、積み減らしていく

人は成長するとき、

「経験を積む」

「知識を増やす」

「できることを増やす」

というように、何かを足していくことを考えがちです。

もちろん、積み重ねることは大切です。

でも長く生きていれば、昔は必要だった考え方が、今の自分には合わなくなることもあります。

新しいことを学ぶ。

今までの考えを問い直す。

必要がなくなったものを手放す。

私は、これを**「積み減らし」**と考えています。

積み重ねて、減らして。
また学んで、また手放して。

その繰り返しの中で、

それでも最後まで残っているもの。

それが、今の自分にとっての「軸」なのかもしれません。

ただ、その軸さえも、永遠のものではないと思っています。

5年後、10年後、新しい経験をしたときに、

「これは今も本当に大切なのだろうか」

と問い直していい。

軸とは、

一生変えてはいけない正解ではなく、その時々の自分が何度も問い直した末に、それでも大切にしたいと思っているもの。

それくらいでいいのではないでしょうか。

自分の正解を、決めつけすぎない

自分なりの考えを持つことは大切です。

何でも人の意見に流されていたら、自分が何を大切にしているのか分からなくなってしまいます。

でも、

「自分はこう思う」

と考えたあとに、

「今の自分は、そう考えている」

と捉えておく。

それだけで、少し違ってくる気がします。

今の自分にとっては大切な考えでも、これから新しい経験をしたり、誰かの意見を聞いたりする中で、考えが変わることはあります。

それは、一貫性がないということではありません。

知らなかったことを知る。
自分の間違いに気づく。
考え方を更新する。

そうやって変わっていくことも、成長の一つだと思います。

しなやかであることは、何でも受け入れることではありません。

芯を持つことも、何も変えないことではありません。

自分が大切にしたいものは持ちながら、そこへ向かう方法や考え方は、必要に応じて変えていっていい。

そんな状態が、私の考える「竹のようなプライド」に近い気がしています。

竹のようなプライドでありたい

鉄は、とても強い。

でも、硬いものに大きな力が加われば、曲がったり、折れたりすることがあります。

竹は、風を受ければしなる。

自分の形を少し変えながら、風を受け流す。

そして、また戻ってくる。

人も同じなのかもしれません。

間違えることがある。

考えが変わることもある。

誰かから学ぶこともある。

今まで大切だったものを手放すこともある。

それでも、自分までなくなるわけではない。

むしろ、変化を受け入れながら、

「それでも私は何を大切にしたいのだろう」

と問い続けることで、自分の根は少しずつ深くなっていくのかもしれません。

強くありたい。

でも、硬くはなりたくない。

自分なりの美学は持っていたい。

でも、それを意地にはしたくない。

間違える自分も、知らない自分も、変わっていく自分も受け入れながら。

根は深く。
それ以外は、しなやかに。

私は、竹のようなプライドでありたいと思います。

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