文章を書くことの景色が、大きく変わりました。
少し前まで、文章を書くためには、自分で考え、自分で言葉を探し、一つひとつ文章にしていく必要がありました。
今は、AIに問いかければ、数秒で整った文章が返ってきます。
分かりやすくまとめることもできる。
言葉遣いを整えることもできる。
自分では思いつかなかった視点を提示してもらうこともできます。
私は、それ自体を悪いことだとは思いません。
むしろ、とても大きな可能性を持った道具だと思っています。
では、AIがこれほど上手に文章を書ける時代に、
「自分の言葉」とは、何なのでしょうか。
そんなことを考えるようになりました。
自分の言葉は、「自分だけで書いた言葉」なのか
AIは、とても自然な文章を書きます。
それらしい答えも返してくれます。
だからこそ、少し怖いこともあります。
出てきた文章を読んで、
「なるほど。確かにそうかもしれない」
と思った瞬間に、それをそのまま自分の考えにしてしまうことです。
文章として正しいことと、
自分が本当にそう思っていることは、
同じではありません。
「これは本当に自分が伝えたいことだろうか」
「少し違和感があるところはないだろうか」
「私は、本当はどう思っているのだろう」
一度、自分に問い返してみる。
AIが文章を作ってくれたとしても、
最後に、
その言葉に自分の意思があるか。
そこだけは、自分で確かめたいと思っています。
「私は今、ここで生きている」から生まれる言葉
どれだけ技術が進歩しても、人間にしか持てないものがあります。
それは、
実際に一つの人生を生きていること。
今日、嬉しかった。
誰かの一言に傷ついた。
大切な人を思って眠れなかった。
仕事で失敗した。
自分の選択を後悔した。
それでも明日を迎えた。
人は、生身の身体を持ち、限られた時間の中で生きています。
だから、
「私は今、ここでこう感じている」
という言葉には、その人の人生が含まれています。
同じ「悲しかった」という一言でも、
そこに至るまでの人生は、一人ひとり違います。
同じ「大切にしたい」という言葉でも、
なぜそう思うようになったのかは、人によって違います。
文章の価値は、情報の正確さや美しさだけではなく、
誰が、どんな人生を通って、その言葉に辿り着いたのか
というところにもあるのだと思います。
個人的な物語は、これからもっと価値を持つ
例えば、
「人との距離は大切だ」
と書くだけなら、同じような文章はたくさんあります。
でも、
「以前の私は、こう考えていた」
「ある出来事を経験して、考えが変わった」
「今はこう考えている」
と、自分の物語が加わった瞬間、その文章はその人にしか書けないものになります。
自分の言葉とは、珍しい言葉を使うことではない。
難しい表現をすることでもない。
むしろ、
自分がどんな経験をして、なぜその考えに辿り着いたのかを語ること。
そこに、その人らしさが現れるのではないでしょうか。
AIが文章を上手に書けるようになればなるほど、
「誰にでも書ける文章」より、
「この人だから、この言葉になった」
という文章の価値は、むしろ高くなっていくように思います。
未完成だからこそ、残るもの
人間の考えは、いつも整理されているわけではありません。
「こう思う」
でも、
「本当にそうなのかな」
とも思う。
昨日まで正しいと思っていたことを、今日は少し違うと感じる。
自信を持って話した直後に、別の考え方にも気づく。
矛盾しています。
揺れています。
でも、それでいいのだと思います。
むしろ、
まだ考えている途中であること自体が、人間らしさなのかもしれません。
完成された文章だけが、人の心を動かすわけではありません。
「自分でもまだ答えが出ていない」
「もう少し考えたい」
そんな言葉に、自分と同じ迷いを見つけて救われることもあります。
考えが揺れる。
迷う。
変わる。
その未完成さまで含めて、自分の言葉なのだと思います。
答えが簡単に手に入る時代だからこそ
これから、答えを得ることはもっと簡単になっていくのだと思います。
分からないことがあれば聞けばいい。
比較したければ整理してもらえばいい。
文章にしたければ書いてもらえばいい。
では、そのとき人間に残るものは何でしょうか。
私は、
「何を問うのか」
なのではないかと思っています。
同じ景色を見ても、何も感じない人もいる。
「なぜだろう」と立ち止まる人もいる。
「これは本当に当たり前なのか」と疑う人もいる。
何に違和感を持つか。
何を大切だと思うか。
何について、もっと考えたいと思うのか。
そこには、その人が生きてきた人生や価値観が表れます。
AIが答えをつくることができても、
なぜ自分がその問いを持ったのか
までを、自分の代わりに生きることはできません。
だから私は、
正解よりも、問いを。
という言葉を、これまで以上に大切にしたいと思っています。
AIを使うことより、考えることを手放す方が怖い
AIを使うことで、
「自分で考えなくなるのではないか」
と言われることがあります。
その可能性は、確かにあると思います。
でも、私はAIを使うこと自体が問題なのではないと思っています。
AIと話すことで、自分の考えが深まることがあります。
「そこは違う」と思うことで、自分の価値観に気づくこともあります。
自分では見えていなかった視点を知り、
「では、自分はどう考えるだろう」
と、さらに思考が進むこともあります。
道具として使えば、考えることを助けてくれる存在にもなります。
だから私は、
AIを使うことより、考えることを手放してしまうことの方が怖い。
そう思っています。
出てきた答えを、そのまま受け入れる。
整った文章を、そのまま自分の言葉にする。
それが続けば、いつか、
「自分はどう思うのか」
を考える必要さえ感じなくなるかもしれません。
AIに文章を書いてもらうことと、
AIに考えることまで預けることは違います。
そこには、大きな境界線があると思います。
手段が変わっても、目的までは手放さない
文章を書く道具は、これからも変わっていくでしょう。
紙に書いていた時代があり、
パソコンで書くようになり、
今はAIと対話しながら文章をつくることもできます。
手段は変わります。
でも、
「なぜ私は、この言葉を残したいのか」
という目的まで変える必要はありません。
AIに手伝ってもらってもいい。
誰かと話しながら考えてもいい。
本から影響を受けてもいい。
大切なのは、
最後に自分が、
「これは、今の自分が残したい言葉だ」
と思えること。
自分の言葉とは、
一人で生み出した言葉ではなく、
考え続けた末に、
自分の意思で選んだ言葉
なのかもしれません。
考えることを、手放さない
これからAIは、今よりもっと身近になると思います。
文章を書くことだけではなく、
考えること。
調べること。
決めること。
さまざまな場面で、私たちを助けてくれるでしょう。
私は、その未来を否定したくありません。
むしろ、うまく使いながら生きていきたいと思っています。
でも、一つだけ手放したくないものがあります。
それが、
自分で考えること。
すぐに答えを出さなくてもいい。
迷ってもいい。
一度決めたことを変えてもいい。
誰かの意見を借りてもいい。
AIと一緒に考えてもいい。
それでも最後に、
「私はどう思うのだろう」
と、自分に問いを返す。
その繰り返しの中に、自分の言葉は生まれていくのだと思います。
答えが簡単に手に入る時代だからこそ、
答えを持っていることよりも、
問いを持ち続けること。
そして、その問いについて考え続けること。
手段がどれだけ変わっても、
私は、
考えることを、手放さない。

