はじめに|あの言葉が、今も心に残っている。
何年も前に誰かから言われた言葉を、ふと思い出すことがあります。
何気ない会話の中で投げかけられた一言。
相手はもう覚えていないかもしれないのに、自分の心には、今も鮮明に残っている。
その言葉を思い出すたびに、当時の気持ちまでよみがえってくることがあります。
一方で、自分が誰かに伝えた言葉を、あとになって振り返ることもあります。
「あの言い方でよかったのだろうか」
「もう少し違う伝え方ができたのではないか」
伝えたいことは間違っていなかったとしても、伝え方まで適切だったとは限りません。
私たちは日々、数えきれないほどの言葉を交わしています。
そのほとんどは、日常の中に自然と溶け込んでいくものです。
けれど、たった一つの言葉が、誰かの心に長く残ることもあります。
言葉には、人を勇気づける力があります。
同時に、誰かを深く傷つけてしまうこともあります。
だからこそ、少し考えてみたいのです。
私たちは、誰かに言葉を届けるとき、何を大切にしているのでしょうか。
そして、相手を尊重しながら、自分自身の思いも大切にすることはできるのでしょうか。
今回は、そんな「言葉選び」について考えてみたいと思います。
正しいことなら、どう伝えてもいいのだろうか。
誰かの間違いに気づいたとき。
相手に改善してほしいことがあるとき。
私たちは、ときに厳しいことを伝えなければならない場面に出会います。
相手の成長を願うからこそ、耳の痛いことを伝える必要もあるでしょう。
その行為自体が、間違っているわけではないと思います。
しかし、ここで一つ考えたいことがあります。
伝える内容が正しければ、どのような言葉を使ってもよいのでしょうか。
例えば、仕事で失敗した人に対して、「どうしてこんなこともできないの」と伝えることがあります。
一方で、「どこでうまくいかなかったのか、一緒に考えてみよう」と伝えることもできます。
どちらも、起きた問題に向き合おうとしているのかもしれません。
しかし、受け取る側が感じることには、大きな違いがあるでしょう。
前者は、失敗という出来事だけでなく、自分自身の能力まで否定されたように感じるかもしれません。
後者は、問題を解決するために向き合ってくれていると感じるかもしれません。
もちろん、いつも穏やかな言葉が適切とは限りません。
状況によっては、厳しさや明確な指摘が必要なこともあります。
ただ、厳しく伝えることと、相手の尊厳を傷つけることは、同じではないはずです。
私は、言葉を選ぶという行為には、二つの姿勢が表れると思っています。
一つは、自分の言葉が相手に影響を与えるという事実から逃げない「責任感」。
もう一つは、相手を一人の人間として大切にしようとする「敬意」です。
自分が正しいと思っているときほど、その二つを忘れてしまうことがあるのかもしれません。
正しいことを伝えようとする前に、その言葉が相手にどう届くのか。
そこにも目を向ける必要があるのではないでしょうか。
「あなたのため」という言葉の危うさ。
「あなたのためを思って言っている」
誰かに助言するとき、私たちはこのような言葉を使うことがあります。
そこには、本当に相手を大切に思う気持ちがあるのかもしれません。
しかし、その思いがあれば、どんな助言でも相手に必要なのでしょうか。
人の行動や考え方を見ていると、「もっとこうしたほうがいいのではないか」と感じることがあります。
改善できそうなところを探そうと思えば、いくらでも見つかるかもしれません。
けれど、相手はその助言を求めているのでしょうか。
そもそも、本人は何かを変えたいと思っているのでしょうか。
自分にとっての正しさが、相手にとっても必要なものとは限りません。
「相手のために伝えたい」という思いと、「相手がその言葉を必要としている」ということは、必ずしも一致しないのです。
そして、もう一つ考えたいことがあります。
私たちは、相手の事情をどれほど理解できているのでしょうか。
目の前に見えている行動には、その人なりの理由や背景があるかもしれません。
それを十分に知らないまま、正しいと思う言葉を届けてしまうこともあります。
もしかすると、相手が必要としていたのは、助言ではなく、ただ話を聞いてもらうことだったのかもしれません。
もちろん、求められていない言葉をすべて控えるべきだとは思いません。
誰かが危険にさらされているときや、周囲に深刻な影響を与えているときには、伝える責任が生じることもあります。
それでも、言葉を発する前に、一度考えることはできるはずです。
「そもそも、この言葉を相手に伝える必要があるのだろうか」
「私は、相手を理解しようとしているだろうか」
そして、
「本当に相手のためなのか。それとも、自分の考える正しさを受け入れてほしいだけなのか」
言葉を選ぶことは、単に表現を整えることではありません。
その言葉を伝える必要があるのかを考えることも、相手への敬意なのだと思います。
あなたも、私も、大切にする言葉。
ここまで、相手への言葉の届け方について考えてきました。
しかし、もう一つ忘れたくないことがあります。
それは、言葉を発する自分自身のことです。
相手を傷つけないように。
誤解されないように。
嫌な気持ちにさせないように。
そう考えながら、一つひとつの言葉を慎重に選んでいる人もいるでしょう。
相手を思いやることは、とても大切な姿勢です。
けれど、その気持ちが強くなるあまり、自分の考えを伝えることが怖くなってしまうこともあります。
本当は違う意見を持っているのに、相手に合わせてしまう。
断りたいと思っていても、相手が傷つくかもしれないと考えて、引き受けてしまう。
そして、会話が終わったあとに、言えなかった自分の気持ちだけが残る。
これでは、相手を大切にするための言葉選びが、自分自身を苦しめるものになってしまいます。
相手を大切にするために、自分を小さくする必要はない。
自分を大切にするために、相手を否定する必要もない。
私は、この二つを同時に大切にしたいと思っています。
例えば、二つの椅子が並んでいる場面を想像してみてください。
一つは、相手のための椅子。
もう一つは、自分のための椅子です。
相手を尊重しようとするあまり、自分の椅子をなくしてしまう必要はありません。
反対に、自分の考えを大切にするために、相手の椅子を取り上げる必要もありません。
お互いが、自分の考えや気持ちを持ったまま、そこに座っていてもいいのです。
意見が違っていても、必ずしもどちらかが間違っているわけではありません。
相手の考えを理解することと、その考えに同意することも違います。
「あなたはそう考えているんだね。私は少し違う考えを持っているよ」
そんなふうに、互いの違いを認めながら、自分の思いを伝えることもできるはずです。
もちろん、いつも適切な言葉が見つかるとは限りません。
考えすぎて、うまく話せなくなることもあるでしょう。
そんなときは、無理に言葉を探し続けなくてもいいと思うのです。
「少し考えてから話してもいいかな」
「まだうまく言葉にできないんだけど」
そう伝えることも、一つのコミュニケーションです。
また、どれほど言葉を選んでも、自分の考えを尊重してもらえない関係もあります。
そんなときには、会話を終えたり、距離を置いたりすることも、自分を大切にする選択でしょう。
言葉を選ぶことは、相手に合わせ続けることではありません。
相手の思いにも、自分の思いにも、同じように耳を傾けようとすること。
それが、誠実な言葉選びの一つの形なのではないでしょうか。
言葉は、伝えたあとにも続いている。
どれほど慎重に言葉を選んでも、思っていたとおりに伝わらないことがあります。
相手を励ましたつもりだったのに、負担に感じさせてしまう。
冗談のつもりだったのに、傷つけてしまう。
自分では十分に説明したと思っていても、相手には違う意味で伝わっていることもあります。
同じ言葉であっても、受け取る人の経験や価値観、そのときの状況によって、意味は変わってくるものです。
だからこそ、言葉を選ぶことは、伝える前だけで完結するものではないと思います。
例えば、相手の表情が曇ったとき。
「そんな意味で言ったんじゃない」と、自分の意図だけを説明したくなることがあります。
もちろん、誤解を解くために説明することは大切です。
でも、その前に「どんなふうに受け取った?」と尋ねてみることもできるのではないでしょうか。
自分が伝えたかったことと、相手が受け取ったこと。
その間にある違いを、一緒に確かめていくのです。
そして、自分の言葉が適切ではなかったと気づいたなら、謝ることも、伝え直すこともできます。
言葉に責任を持つとは、一度も間違えないことではなく、間違えた自分の言葉にも向き合うことなのかもしれません。
もちろん、すべての誤解を解けるわけではありません。
丁寧に伝え直しても、理解し合えないことはあるでしょう。
また、相手が自分の考えを理解したとしても、必ずしも賛成してくれるとは限りません。
それでも、伝わったことと、受け入れてもらえたことは別なのだと思います。
自分の考えを理解してもらえたうえで、相手が違う考えを持つ。
それは、必ずしもコミュニケーションの失敗ではありません。
相手には相手の考えがあり、自分には自分の考えがある。
その違いを認められることも、人間関係を築くうえで大切な姿勢なのでしょう。
言葉は、発した瞬間に終わるものではありません。
伝えたあとも、相手と向き合い、必要に応じて確かめ直していく。
伝えたあとにも確かめ合い、必要なら言い直せる。
そう考えられたら、最初から完璧な言葉を見つけようとする負担も、少し軽くなるのかもしれません。
言葉の奥にある、相手への敬意。
ここまで、言葉を伝える側の姿勢について考えてきました。
では、言葉を受け取る側はどうでしょうか。
私たちは、相手の言葉をどのように受け止めているでしょう。
誰かが一生懸命に思いを伝えようとしていても、表現が少し不器用だったり、説明が十分ではなかったりすることがあります。
そんなとき、言葉の一部分だけを捉えて、相手の意図まで決めつけてしまうことはないでしょうか。
「それは、どういう意味で言ったの?」
「もう少し詳しく聞いてもいい?」
そう尋ねることで、初めて相手の思いを理解できることもあります。
言葉を交わすということは、伝える人だけの努力では成り立たないのかもしれません。
伝える側には、相手を尊重しながら言葉を届けようとする姿勢が必要です。
そして受け取る側にも、相手が何を伝えようとしているのか、理解しようとする余地があります。
ただし、これは傷つけられた人に、相手を理解する義務があるという意味ではありません。
人格を否定されたり、一方的に攻撃されたりしたときまで、相手の事情をくみ取る必要はないのです。
自分の心を守ることも、大切な選択です。
そのうえで、互いに言葉を交わせる関係であるならば、少しだけ相手の意図を確かめてみる。
言葉の表面だけでなく、その奥にある思いにも目を向けてみる。
それが、お互いを尊重することにつながるのではないでしょうか。
そして今、私たちは対面だけでなく、SNSやメッセージなど、さまざまな方法で言葉を交わしています。
文字だけのやり取りでは、表情や声の調子が伝わらないこともあります。
だからこそ、相手の意図を決めつけず、必要なときには確かめる姿勢が、より大切になっているのかもしれません。
私は、言葉選びには、その人の心構えが表れると思っています。
どんな言葉を使うのか。
どんな言葉を控えるのか。
そして、相手の言葉をどう受け取ろうとするのか。
その一つひとつには、相手との関係をどう大切にしたいのかという姿勢が表れているのでしょう。
言葉を選ぶことは、間違えないための技術ではなく、相手との関係に誠実であろうとする姿勢なのかもしれません。
ただし、いつも誠実で、完璧な言葉を使える人はいないと思います。
私たちは、ときに言葉を間違えます。
誰かを傷つけることもあれば、自分自身が傷つくこともあります。
だからこそ、間違えないことだけを目指すのではなく、互いの不完全さを認めながら、言葉を交わしていきたい。
自分の言葉にも、相手の言葉にも、丁寧に向き合おうとすること。
その積み重ねが、誠実な人間関係を少しずつ育てていくのではないでしょうか。
おわりに|その言葉を、誰のために選んでいるのだろう。
言葉は、目に見える形では残らないことが多いものです。
けれど、何年も前の一言が、今も心に残っていることがあります。
反対に、誰かが何気なくかけてくれた言葉に、救われた経験を持つ人もいるでしょう。
私たちは、言葉が持つ力を、すべて理解できているわけではありません。
どれほど考えても、相手にどう届くのかを完全に知ることはできないのです。
だからといって、言葉を発することを怖がり続ける必要もないと思います。
相手を大切にしたい。
でも、自分の考えも大切にしたい。
そのどちらかを選ぶのではなく、両方を大切にできる言葉を探していく。
そして、うまく伝えられなかったときには、もう一度向き合ってみる。
それで十分だと言い切ることはできません。
それでも、言葉を交わす私たちが、少しずつ大切にできる姿勢なのだと思います。
言葉を選ぶことは、相手のためだけでも、自分のためだけでもありません。
私とあなたが、それぞれの思いを持ちながら、同じ場所で言葉を交わしていくためのものなのかもしれません。
最近、誰かに伝えたあの言葉。
今、もう一度伝えるとしたら、あなたはどんな言葉を選びますか。

