「この人なら信頼できる」
私たちは日常の中で、何気なく「信頼」という言葉を使います。
信頼できる友人。
信頼できる上司。
信頼できる同僚。
でも、ふと考えました。
私たちが信頼と呼んでいるものは、本当にすべて「信頼」なのだろうか。
約束を守ってくれるから。
仕事ができるから。
困ったときに助けてくれるから。
これまで期待を裏切らなかったから。
そう考えてみると、そこには「この人なら大丈夫」と思える理由があります。
それはもしかすると、信頼ではなく「信用」なのかもしれません。
今回は、人と人との関係の中にある「信用」と「信頼」について考えてみたいと思います。
「信用」と「信頼」は、似ているようで違う
心理学者アルフレッド・アドラーの思想を扱った『嫌われる勇気』では、信用と信頼の違いについて考えさせられる部分があります。
信用には、条件がある。
たとえば、お金を貸すときに相手の返済能力を確認する。
仕事を任せるときに、これまでの実績を見る。
つまり、
「〇〇だから、この人を信じる」
という根拠があります。
一方で信頼は、そうした条件をつけずに相手を信じることだと捉えます。
この二つを並べてみると、「信頼」という言葉が急に重く感じられます。
私自身、これまで「信頼している」と思っていた人たちとの関係を振り返りました。
すると、その中には、
仕事ができるから。
約束を守るから。
自分の期待に応えてくれるから。
という理由で成り立っている関係もありました。
それが悪いわけではありません。
むしろ、私たちの人間関係の多くは、信用によって成り立っているのではないでしょうか。
信用は、決して悪いものではない
「信用より信頼の方が上」
そんな単純な話ではないと思います。
人と出会った瞬間から、無条件にその人を信頼することは簡単ではありません。
約束を守ってくれた。
自分の話を真剣に聞いてくれた。
困っているときに手を差し伸べてくれた。
そうした一つひとつの経験から、
「この人なら大丈夫かもしれない」
と思えるようになる。
信用とは、人と人が関係を築いていくための大切な土台なのだと思います。
では、その信用はいつ、信頼へ変わるのでしょうか。
信用は頭で考え、信頼は感情で感じる
信用には、理由を挙げることができます。
「なぜ、その人を信用しているの?」
そう聞かれれば、
誠実だから。
約束を守るから。
仕事を任せられるから。
と答えられる。
どこか、頭で判断している部分があります。
でも信頼は、少し違う気がします。
「この人には弱い自分を見せても大丈夫」
「意見が違っても、きっと関係は壊れない」
「困ったとき、この人には話してみようと思える」
理由がまったくないわけではない。
それでも、すべてを言葉だけで説明することは難しい。
信用は頭で考えるもの。
信頼は感情で感じるもの。
そんな違いがあるのかもしれません。
信用と信頼の間に、境界線はあるのだろうか
では、
「今日からあなたを信頼します」
と決める瞬間があるのでしょうか。
おそらく、多くの場合はそうではないと思います。
相手のことを少しずつ知る。
自分のことも少しずつ知ってもらう。
嬉しかった出来事だけでなく、弱さや失敗も見せる。
意見がぶつかることもある。
それでも、関係が続いていく。
自分にとって何の得にもならない場面で、相手が手を差し伸べてくれることもあるかもしれない。
そんな時間を積み重ねていく中で、少しずつ何かが変わっていく。
信用と信頼の間には、はっきりとした境界線があるのではなく、グラデーションのようなものがあるのではないでしょうか。
そしてある日振り返ったとき、
「そういえば、自分はこの人のことを信頼しているな」
と気づく。
信頼関係は「つくる」というより、関係を重ねる中で、いつの間にか育っているものなのかもしれません。
信頼があるから、遠慮なく話せる
親しい友人とは、何でも話せる。
信頼している上司とは、意見が違っても議論できる。
関係性はまったく違います。
それでも、そこには一つ共通するものがあります。
「こんなことを言ったら、関係が壊れてしまうかもしれない」という恐れが少ないこと。
もちろん、何を言ってもいいわけではありません。
相手への配慮は必要です。
でも、配慮しながらも遠慮なく話せる。
必要なら「NO」と言える。
自分の弱さも見せられる。
以前は、こうしたものが信頼そのものなのかとも考えました。
でも今は少し違います。
遠慮なく話すことも、配慮することも、NOと言えることも、信頼そのものではない。
信頼という土台があるからこそ、現れるものなのかもしれません。
「だから信じる」から、「それでも信じる」へ
信用には、理由があります。
約束を守るから信じる。
誠実であるから信じる。
期待に応えてくれるから信じる。
では、その条件が崩れたらどうでしょう。
人は失敗します。
期待に応えられないこともあります。
ときには、大切な人に傷つけられることだってある。
それでも、その人を信じることができるのか。
ここに、「信用」と「信頼」を考えるうえで、とても大きな違いがあるように思います。
「だから信じる」から、
「それでも信じる」へ。
条件を満たしてくれるから信じるのではなく、その人自身を信じる。
もしかすると、その変化の先に「信頼」と呼べるものがあるのかもしれません。
ただし、これは何をされても受け入れるという意味ではありません。
信頼している相手であっても、傷つけば距離を取っていい。
嫌なことにはNOと言っていい。
場合によっては、関係を終えることだってある。
相手を信じることと、自分を守ることは、きっと両立できる。
信頼とは、自分を差し出して相手に委ねることではないのだと思います。
信頼は、簡単に使える言葉ではないのかもしれない
「信頼関係を築く」
よく使う言葉です。
でも、ここまで考えてみると、「信頼」という言葉は思っていた以上に重く、難しいものに感じます。
人を知る。
自分も知ってもらう。
弱さを見せる。
意見が違うことを知る。
ときには期待を裏切られる。
それでも関係を重ねていく。
その先でようやく生まれるものだとしたら、信頼関係とは簡単につくれるものではないのでしょう。
だからこそ、人生の中で本当に誰かを信頼できることは、とても大切なことなのかもしれません。
そして同時に、信用で成り立っている関係も大切にしたい。
すべての人と深い信頼関係を築く必要はありません。
信用し合い、適切な距離を保つ。
そんな関係があってもいい。
人間関係にも、きっと一つの正解はないのですから。
あなたが「信頼している人」は、誰ですか
この記事を書きながら、私自身も何人かの顔が浮かびました。
なぜその人を信頼するようになったのか。
いつから信頼していたのか。
考えてみても、はっきりとは答えられません。
きっと、たった一つの出来事があったわけではないのでしょう。
いくつもの時間を重ねて、
「この人だから信じる」から、
「それでも、この人を信じる」へ。
気づかないうちに、関係が変わっていた。
人は、そうやって誰かを信頼するようになるのかもしれません。
あなたには、
いつから信頼するようになったのか、思い出せない人がいますか。
そして、その人との関係は、
「信用」でしょうか。
それとも、「信頼」でしょうか。
正解を急がず、一度、自分の大切な人を思い浮かべながら考えてみたい問いです。

